昭和42年7月25日 夜の御理解
信心は水にも、火にも焼かれないものと言われております。なるほど信心は、水にも流されないもの。火にも焼けないもの。どういうようなことになっても、信心だけは流れも焼けもしないんだということは事実なんですけれども、私は、それはどういうようなことか言うとですね、火にも合うても、水に合うても、信心を止めない。そういう意味じゃないと思うですね。
例えばその火には焼けないということは、焼けたために焼け太りのおかげを頂くとか、流れたために水太りのおかげを頂くと。そういうおかげを頂いてこそ、始めて信心は焼けないんだ。
何故って。神様は「難はみかげ」と仰っている。だから難あって、喜べとこそ仰っておられるんだ。ただ水にもその信心が流されませんでした、焼けませんでしたと言うて、焼け細りになったり、ね。水細りになったんではね、あん時大水に遭うていなかったら、こんなことはないものにとか、あん時は、焼け出されていなかったら、本当にああでもあったにもというようなことでは。私は水にも焼けない。火にも焼けない、水にも流されない信心とは言えない。 そういう一つの信心のですね、根性をしっかり頂いて、ね、それをおかげにしていける、始めて、信心が焼けなかったんだ、流れなかったんだということが言えると思うんですね。
そのへんのところをですね、私は、あのまあ椛目的というかですかね、合楽的と言うですか。そのそういう絶対のおかげにしていかなければね、止まんという信心根性がどうでも必要だと思うですね。
今日、丁度、私、昼から目が少し悪うございますから、もう休んでいれば一番いいです。休んでおりましたら続けて、あのお届けに出て見えるのが、伊万里のこの頃水に、大水に浸られた方達が四人でしたか、五人でしたか、お礼に出で見えておられました。それよりちょっと十分ばかり前にこれは高芝さんのところの姪ごさんに当たります方で、この頃火事に遇われました、その方がお届けに見えて、今、私は、焼け太りの話をしたんだから、あなた方も一つ、水ぶくれのおかげを頂かにゃいかん。水ぶくれではいけん。ちょっとしゃすっとこうしゃべって、しまうことじゃいけんから、どうでもこれを水太りのおかげにしなけゃいけませんよ。焼け太りのおかげにせなけゃいけませんよと、言うてから話したことでございますけれどもね。そういうおかげが受けるということを、皆さん確信して頂きたいと思うんですよ。
・・・?。そうすると、例えばどのようなことになった場合でもそのおかげが頂けるチャンスと頂いたといったような、一つの元気な心も勇気も出でくるんです。私は、そういうようなですね、何か今日、二つのそのことをどうして焼け太りにならずに、焼け細りになっていくかと、又、焼け太りになっていくか。そこの境のところの信心を今日、何か見せてもらったような気がしたお取次をさせて頂いたのです。
というのは、今日の婦人会に、もう参加されたと思いますけれども、あちらの朝倉郡、宮野の教会から、今日、もう一年前から熊谷さんに御導きを頂いておったけれども、是非ともと思っていたけれども、どうしてもおかげを頂くことが出来ない。この頃熊本大会にこの前を通らせて頂いて、ハァここが合楽教会だなぁと、こう思うたら、それからもう矢も盾もたまらんでお参りしたいというので、あの熊谷さんに御導き頂いてから、今日、実は参って参りました言うて、丁度御祈念が終って、一通りお取次が終っておるところに、参って参りました。
話を聞かせて頂きますと、もう実にですね信心もうその、もう見ただけでわかるんです。信心が出来ておるというのは、もう実にその信心が、行き届いた、家族中の写真をこう縦に立てられて、ここで一緒に御祈念をなさるんです。そして、ここでお取次をなさる。お取次のことを聞かせて頂いておっても、本当に、頭が下がるようなことなんですけれども、もう何十年間、信心すれば、どうしてこういう難儀が続くかという難儀に見舞わられて、続けておられますね。
例えば、ご長男が非常に頭が良くて、東大に受けられ、受けよと言われて、ところのまあいろんな関係もあってから、九大に受けられた。そして本人は止むに止まれない向学心、いわゆる転校試験を受けられた。そして東大を受けられた。もう一、二というような成績で出られた。勿論、大学には無試験で、それから行かれた。そして長崎の何とか造船所かなんかにね、就職しておられます。ところがですね、そいういう、みなからその期待をかけられ、嘱望され、親ももう期待をかけておられたその人がです一年後に事故で亡くなっておられます。もう先生、目もあてられん状態でございましたけれども、信心のおかげで信心が続いておりますとこう言う。いわゆる信心がそういう難儀にあっても、水にも、火にも焼けも流されもしなかったわけなんだけれどもね、ところがそういう難儀が、いわゆるそのおかげの元に、一つもなっていないということ。ね。
それで、二番目の息子さんが、この人が色々、百姓に向いておるから、私どもの後を継いでくれるであろうと思っていたところが、とにかく兄さんがあんな事に、じゃったからと言うて、東京に一旗揚げにゃと出られてから三年間、もう音信不通だそうです。もう泣くにも泣かれません。それでまあ、神様のおかげで、信心だけは、こう続けておりますとこう言う。
それで三番目の息子が、これまで頭が良いが、その皆にも、先生方からも嘱望され、又兄が勤めておったその、造船所からもです、ああいう得難い素晴らしい人はなかった。恐らくご兄弟もそうであろうし、大学を出られたならば、もう無条件で兄さんの後に入ってもらってよいがということであったから、せめて、その九大にでも受けたいというので、九大の試験を受けられた。一生懸命に勉強されよったら、とうとうノイローゼになられましてね。晩が眠られなくなって、ノイローゼになって、そしてその、そのいわゆるもう何と言うですかね、眠りがこの貯まる、眠いのが続くとですね、ずっと笑い通しに、声上げて笑われる。とうとう精神病院に入れて四年になります。先生、私どもはどういうような信心をさせて頂いたら、助かることが出来るでしょうかと言う。お届けを私はさせて頂いたんですけど。
どうで皆さんは、なるほどそれだけ何十年間の信心の間にももう、あんた方は信心しょうてなーになかごつなかじゃんの。もう六十、ご主人が六十五、自分が六十一とか言うておられましたが、もう二人の者が、もう本当に細々と百姓を、畑を、少しばかりの畑を作って、自分が吉井の町辺りまでも、野菜売りをずっと回られる。野菜売りを回った、たんびに熊谷さん宅に寄られてこの話を聞かれるというわけなんです。そしたらあの今日は、婦人会があるなら私もおかげを頂きたいと言うて、あそこのテープを聞いておられるところに、丁度参ってきたのが、あの鳥栖の上野さんでした。そん時、誰でしたかなここに参ってきておったのは、人のことをお取次させてもらいよりました。それであのテープを聞き止めてから、こちらの話を聞いておられるんです。この人はね、ここに二人夫婦で参ってきておる人に、私が上野さん方がおかげを受けて話をさせて頂いた。丁度、そのところと同じ様に、子供達が皆が皆、いうて頭が良いし、おかげを頂いておる。そのおかげを頂いたことをずっと、私は話させて頂いた。その話と全然違う。
なるほど焼けもしたが、焼け太った。流れもしたが、流れ太り、水太りをしとる。そして現在では、こういうようなおかげを頂いとる。しかも兄弟一様のものが、この様なおかげを受けるという話をそちらで聞きよってから、自分のとことあんまり似ておるケースだけれどもその似ていないのが、おかげの現われ方が違う。どこにそういう様な、いわば問題があるだろうか。お互いよくよく考えて見なければいけませんよといって、ここに参っておる夫婦にそのことを話させて頂いた。ね。まあ上野さんのところのおかげ話は、皆さんが知っておられましょうから致しませんけれども、いわゆる今の、宮野から参っているその婦人は、全然反対におかげをみんな頂いとるということ。
今、御祈念にかかる前でした。永瀬さんのところの奥さんが親子が参って見えてから、あちらのご親戚の方がクマザキさん。長女の方を時にもやっぱり小野先生、小野病院でおかげを頂きましたが、非常に難産でしたけども、おかげを頂いた。今日も来てから、そのことを小野先生が参ってきてから、そのことをお届けするんです。今日は三人の手術がございますのにクマザキさんがもう一番心配だ。とにかくこの前もあんなだったし、もう先生、クマザキさんをやりそこうと、他の三人まで、今日あの差し障りになってくるのですから、どうでもおかげを頂きますようにと、そのお届けがしてある。ところがやっぱりその、見立てどおりに難産であった。ね。ところがです、もうとにかく余りにも、もうみとられんごとあるものだから、永瀬さんがご神米を頭にくくりつけて頂かさせですてね、そして、「生神金光大神さま」を唱えなさいと言うて、その、まあこちらがはずんで聞かせ、自分も「生神金光大神さま」と言うてですね、ご神米を頂いたのと、金光大神さまを祈ってしたの、あの子供が出たのと一緒じゃ。そしてからおかげを頂いてからね、今「生神金光大神さま」と言うてから、あのお唱えさせて頂いた時にですね、椛目のいわゆる合楽の、私のことです。親先生がもう汗じっくりになってござるけども、にっこり笑うところを頂いた。途端にその安産のおかげを頂いたということを、永瀬さんに伝えられたということでございます。
これは昨夜の御祈念にお参りになった方は私が申し伝えさせて頂いたことを、よく覚えておっておいででございましょうけれどもね、私は今日、昨夜の言葉にですよ、今晩御祈念が長かったのは、御祈念中、だれだれが怪我をするというお知らせを頂いとった。もう神様教えて下さることは絶対なんだから、さあそのけがが大難なら小難、小難なら無難におかげを頂くように、皆もお祈り添えなさい。私がここへ、御祈念が終わってから、ここに座った時に、お届けをしとります。だから後からお届け帳を見てご覧なさい。その人の名前がちゃんと書いてある。御祈念が終わってからすぐ私が、御理解を説く前に、だれだれが怪我をするということを頂いたから、そのことをお届けさして頂いとった。ね。
ところがです、それは富永さんのことだった。今晩先ほどです、只今あの子供が事故にあったという通知がございましたから、只今帰らせて頂きます。福岡のこの方はですね、最近もう、一、二月もでしょうか、秋永先生のところに、いわば居候している。そうして、一生懸命に今、信心に精進しているわけ。奥さんとの、いざこざで、そのいろんなトラブルがあって、まあ別れておる状態になってる。けれども考えてご覧なさい。その奥さんが電話を掛けてきたんです。子供が事故に遭うた。とにかく早く帰って下さいとこう言う。神様のご演出というのは、ホドホドにこんなに、素晴らしさを、そこに感じますと同時にです、昨日皆さんにもお祈り添えなさったであろうけれども、私はまだ事故の模様は聞いておりませんけれども恐らくおかげを頂くための事故であったに違いないと私は思うております。ね。
皆さんは、私は今、永瀬さんの話と、永瀬さんとこのご主人、熊崎さんの話と、熊谷さんの話といわゆる富永さんが昨日、怪我をするというお知らせを頂いた。私はそん時、お届けをさして頂いておる。ね、だから皆さんも、お祈り添えなさらなければいけませんよと、それが今日、現実に起きてきた。けれども、それにはです私の場合はもう、絶対大変などおうに出来ないおかげがですね解決する、それで糸口が出来るんだということなんです、という、いわゆるおかげ話を二つしましたね。
前に私が二つのケースを話しましたね。○○教会のご信者さんのことと、この上野さんのことのお話をいたしました。そして、今日は皆さんに信心は、火に焼けるものではない。水にも流されない、ものではないんだという、ところまで信心を頂いておかなければならないということを申しました。大水にもいって流されたけれども、信心だけは流されなかったと言うて、水細りになっておったのだったら、それはもう水に流されたと同じことと私は、ね、信心だけはやっぱり続いております。いかにもね火にも焼けない信心だと言うても、焼けだされたまま、いわばここから憔悴しておったり、例えばおかげが小さくなっていっておるならば、それはもう焼け、信心が焼けたのも同じことだと私は申します。
そういう信心では焼け太りになるはずがない。水太りになるはずがない。そこで皆さんがよく、よく一つわかられて、水太りの信心とは、焼け太りの信心とは、どこから、どういうふうにして違うてくるのかということを、私は、まあ皆さん、あんにです、富永さんというなら、上野さんと、○○教会の今日お取次させて頂いたご信者さんのことを思って聞いて頂いて、それから先はわかって頂きたいと思うんです。ね。
どうぞ一つ確かに信心はね、そこまで頂いたら、水にあっても、火事にあってもね、むしろそのことが、焼け太りの水太りのおかげになる、いわば、きっかけになるのでございますから、難も又、有難いのであり、なるほど難あって喜べという御教えもはっきりしてくるのですね。そういう水にも流れない、火事にも焼けない、火事にも焼け出されることのない、そういう信心をです、私は頂きたい。一般で言うておる、ただ火にも会うたけれども、水にも会うたけれども、信心だけは、こうやって長々とやっぱり続いておるというだけではですね、それは有難いことでございましょうけれども、それでは私は神様に喜んで頂けるような信心ではない。真実の意味での信心が水にも流されない、火にも焼けないという信心でないと、私は思うのです。 どうぞ